こんにちは。
以前こちらに母と物理的な距離がとれないと相談させていただいた者です。

前回の質問に回答をくださりありがとうごさいました!
取り留めなく書いてしまい、情報不足で申し訳ありませんでした。
今回も上手く書けるかわかりませんが、補足していただいたものについて書き出したいと思います。長くなりますがすみません。

まず、母と私、どちらがどうかなってしまいそうかということですが、これは今現在では自身の不安要素がほとんどです。
これは私が母の元を離れる時も、母が離れる時も同じです。

そしていつからというので一番昔に記憶があるのが、私が小二の頃に朝起きて来た時、いつもいる両親がおらず、祖父母に聞くと海外に行ったと告げられ、そのいない一週間は放心して過ごした記憶があります。

理科の、自由に席をたって話し合う授業中に、ふらっと兄の教室に向かおうとした事がありました。

両親が帰って来てからも、おかえりと笑うばかりで泣いたり怒ったりして気持ちをぶつけた記憶もありません。

それで、この時ばかりは母の乗った飛行機が落ちないか、事故にあわないかと心配でした。
携帯もない時代でした。

そして私の方は、小四の時に一週間のキャンプがあり、その時から母と離れるのに不安はあったのですが、辞めようかなと言った私に母が心なしかがっかりした顔を見せた事で出席をし、見事にホームシックにかかりました。

夜にキャンプ場の入り口まで行き、山奥でしたし、時間がたたなければ帰れないのだと思った記憶があります。

そして小五の一泊二日の自然学習ではじめてのパニック発作を経験し、その夜知恵熱を出し、それからしばらくして不登校になりました。
糸が切れてしまったのかもしれません。

母も私自身も、日帰りでも旅行は未だに難しいです。

我が家は自営で職人さんも何人かいて、母は8人の家族と職人さんの世話でいつも忙しそうでした。

父も子育てに協力的ではなく、いつまでも祖母の息子、というような感覚が今私が大人になって感じるイメージです。

その祖母もクセが強く、自分の面倒をみてほしいがために私に介護や看護の仕事につきなさいと言ったり、晩年は通帳を勝手に見られ、親戚に告げるなどとんでもない人でした。

兄も不登校の私にきつく当たり、死ね、殺すぞという暴言は兄が結婚して出て行くまで続きました。

思春期の頃に父が倒れ、母は教育者だったので仕事を始めたのですが、昔から私が自分の思いを言うと、手放しに私の味方になってくれず、いつも喧嘩両成敗のようにたしなめられていました。

なんだかここまで書いていて、やはり根本的な安心感が根こそぎ無いような気がします。

不安になる時、母が遠くに行ってしまう時は寂しい、近くにいなくて怖い、そして束縛している私から離れて幸せ(だろう)という怒り、母に遠出を許したら、もうどこでも行ってしまうのではないかという不安もあります。

私自身の遠出は、安心できる地元からの距離が空いていく(すぐに帰れない)事や、その場所に行って、その目的をやり遂げて来なければならないというようなプレッシャーがある気がします。

長々と書いてしまい、色んなものが散らばった結果になってしまいましたが大丈夫でしょうか?
複雑な案件に真摯に答えてくださりありがとうございました。

家族が好きなのでは?というお話も、情けないことに、やっぱりあんな酷い家族でも好きな自分がいます。

今大人になり、その家族と楽しい話ができる事もあるのです。
ただ、なぜもっと円満にいかなかったのかと悲しくなりますね…。

今もきっと、母を守りたい。幸せになってほしい。なのに束縛する自分がいる。自分が嫌いだ。

そういうものが、なんだか収まりどころがないままに漂っています。
またよかったらお時間のある時、ご回答くださると嬉しいです。