私にはオセロがあっという間に次々と反転してゲームオーバーになってしまう瞬間があります。
それは認知の歪みがもたらしてるということも自覚しているし、それがある以上自分を追い詰めることはあっても有益なことはほとんどないというのも結構前からわかっています。
それなのに、手放せません。
手放せないのは、相応のメリットがあるからだとそれの洗い出しをしたり、感情的に未消化なものが抵抗しているのだろうとひたすら寄り添うワークをしてみたり、あれこれ長年やっています。
しかしまたしてもやってしまっていて只今、何十回目の投了状態です。
昔はここがダメならこっちへと、飛び石を移動するように生きて来ましたが、何度も繰り返しているうちに、もう自分が立つ陸地は足元の砂地以外残されてなく、それも刻一刻と波が削り取っていくような感覚になりました。
なかなか追い詰められています。
ネットサーフィンをしている時に根本裕幸さんのサイトの文章の中に自分のこのような癖や感情が共感する記事があり、また読みたいと検索しているのですが、上手くできず講座を受講された生徒さんにサンプルとして相談させていただけるという記事を拝読し、衝動的に投稿させといただいてしまいました。
具体性のない文で答えづらいとは思いますが読んでいただけたらうれしいです。
ありがとうございました。
手放せないなら、それはまだ手放すタイミングではないということ。問題はいつでも私たちに、「もっと自分らしく生きられる」ということを教えてくれています。同じパターンを繰り返すなら、そこには何かしらの向き合うべき課題というのが隠されている可能性がありますが、手放せないのも必要があって、そうしているだけ。
まずはここでしっかり今までの自分を承認して、次の一手を打つためのエネルギーを蓄えてみるのはいかがでしょうか?
http://life-size-me.com/pattern/