こんにちは。
突然ですが、私の両親はいつも怒っていました。
両親の仲は私が生まれる前から最悪で、家の中は怒声が飛び交い、いつも怒りで満ちていました。
そんな私はいつも怒っている両親の顔色を窺い、親の言い分(もっぱら相手への怒り)に賛同し、仲を持とうと失敗して泣いたり、怖くて部屋の隅で耳をふさいだりしていました。
なのでいつも親が怒っているときはこれ以上怒らせないようにいつも細心の注意を払っていました。
そんな両親も私が中学生の時に離婚し、心に平穏が訪れた……と思ったのですが、今度は他で会う人々が怒っているんじゃないか、ということを恐れ始めたのです。
今でこそ大分マシになりましたが、相手の顔色を窺って、意見を飲み込んで、相手のイエスマンになろうとするのです。
そして、少しでも機嫌が悪いように見えると、私が何かした?怒らせた?ととても恐ろしくなってしまいます。
自分のした発言を家に帰ってから思い出し、悪く思われたんじゃないか?軽蔑されたんじゃないか?と自分への好感度が下がることも怖がっています。
そして、両親のようにいつも他人に怒っています。
何もされていなくても先の展開を勝手に脳内で作って怒ったり、何か言われた言葉の理由を頭で考えて憤ったり。
とても疲れます。怒られるのが怖いから、先に怒っているのでしょうか。
以前望んで生んだのかと聞いた時にはぐらかされ、「望まれなかったんだ」と思ってショックでした。
私がいなければ両親はこんなに苦労はしなかっただろうとも思うと、自分が存在しなければ良かったんだと思ってしまいます(両親なりに愛されていることもわかっているのですが)。
社会的に見てあまり良い学歴や職でもないので(やりたいことをやっているので、私はそれなりに満足なのですが)、他人が目の前にいるだけで自分という存在に劣等感を感じます。
誰かを人間としては好きでも、恋愛のような心を持ったことがないし、他人が持っている感性も持っていない、きっと人間の出来損ないなんだと思ってしまいます。
人が怖い分、向き合うのも怖いです。でも人並みに幸せになりたいと思います。恋愛だってしてみたいし、他人や自分に堂々と胸を張って生きていきたいです。
どうしたら、この相手への恐怖を軽減できるでしょうか?
長くなってしまいました。読んで下さってありがとうございました。
子どもにとって、大人の怒りというのは強大で恐ろしく感じてしまうものです。そんな恐怖を感じながらも、誰よりも親の気持ちを優先して生きてきたのなら、常に自分を後回しで、自分のことを気にかけることもできずに来てしまったのだと思います。それ程までに、自分の気持ちを抑え込んでも、ご両親を守りたかったという気持ちに気付いていますか?そのくらい人を愛せるあなたが、”人間の出来損ない”なわけないじゃないですか。
http://life-size-me.com/sensitive-to-feeling/
自分の存在を否定してまでも、罪をかぶってご両親の平和を願って自分を犠牲にしてきたのは「愛」があるからこそ。
大きすぎる罪悪感を少しずつ癒し、自分を許して、自分の幸せのために「大きな愛を自分に向けて」みませんか?
こんなに苦しんだんだもの。幸せにならなきゃ、ね。
▼ご相談へのお返事
https://many-smiles.com/trouble/eliminate-fear-of-people