私は4年前に解離性障害と診断されました。
でももとをたどれば仮病から始まったことです。
小さい頃から親が共働きで家におらず、姉も遊びに行ってばかり。小学校ではいじめられ居場所はありませんでした。中学校に入って小学校のときとは別人のように悲しさも辛さも忘れたように明るく振る舞いました。おかげで友達はできましたが本当の私を知ってる人がいなかったため寂しかったんだと思います。捻挫したふりをしたり突き指したふりをしたり誰かに心配されることが生きがいとなりました。
高校生になってもそれは続きました。でもある時嘘がバレてしいました。責められ無視され地獄のような日々でした。別の友達の輪に入って残された勉強をやるしかありませんでした。絶対に学年一位で有名大学に入ってやるんだと毎日必死に勉強しました。でも裏ではプレッシャーで押しつぶされそうでした。実際に学年一位でしたし、先生たちの期待も熱かったからです。
そんなとき腰のヘルニアになりました。足がしびれてました。ちょっと大げさに歩けないふりをしました。
大学病院の脳神経内科に検査入院もしました。当然何もありませんでした。そしてメンタルクリニックを紹介されました。そうしてるうちにどんどん本当に具合が悪くなってしまいました。パニック発作を起こしたり記憶障害を起こしたり。でもどうしてもそれが仮病にしか思えないんです。
本当に仮病だったときもあるし、意識が朦朧としてても耳は聞こえてたりするからやっぱ仮病なのかなって思うんです。そんな思いをずっと抱えてて、それでも頻度は減って入院もせず元気に暮らせるようになってもやっぱり時々倒れて救急車で運ばれたりするんです。この前が呼吸が止まったっていわれました。
周りの人に仮病でそこまで酸素濃度は下がらないって言われても仮病にしか思えないんです。そのことで自分に自身が持てず罪悪感もとまりません。罪悪感がなくなる本を読みましたが自分が何に対しての愛でなんのメリットがあってやってるのかもわかりません。私は許されないのでしょうか?
ちょさん、こんにちは。
メンタルコーチのミハルです。
そうですか…仮病ですか。
それもかなりシビアな仮病ですね。
相談文を拝読していて、もはや、ちょさんの一部にすらなっているように感じました。
仮病を使うご自分を責めれば責めるほど、体はますます病の状態へ突き進むかもしれません。
どうか、このあたりで、『仮病をゆるせない自分』を手放されませんか。
仮病をいい事だ、とはいいませんが、
確実に、ある時期のちょさんには、必要なものだったのです。
生きていくうえでどうしても必要な盾のようなものだったのです。
どうか、ご自分を否定されずにいてください。
今回は
①何はともあれ、ここまで生き抜いた自分を褒めましょう
②仮病ごと、いまのご自分を受け入れましょう
というご回答をお送りします。
どうか、ちょさんご自身が、いちばんご自分をいたわるようになさってくださいね。
続きは、ミハルのカメムシブログにて
https://ameblo.jp/miharu-nakano/entry-12851520395.html
過去の淋しさイジメなどの痛みの感情が心に残っているのに、なかったことにしてしまう・・。
その裏側にあるのは、淋しさや、悲しみ、孤独感という感情の存在です。
その感情に蓋をして感じないようにすると、病気というものを使ってお知らせがやってきます。
仮病ということにして、本当に向き合うべき感情から目を逸していませんか?
ちょさんの罪悪感のに隠れている、自分の感情と向き合うタイミングだとかも知れません。
※音声にて回答していますので、ブログ内からお聞き下さいね。
回答はこちらから
https://watashijiku-life.com/pemalink-1099-15759