長年、ある目標を目指して毎年チャレンジしてきました。今年は年齢制限もあり最後の挑戦でした。周りからも「今回は大丈夫だろう」と言われ、自分でもかなり可能性が高いと思い、受かるつもりで計画を立てていました。ところが結果は不合格でした。フィードバックで印象的だったのは、「私自身を評価した」というより、「基準に合う人を選んだ」ということでした。
ただ、それ以上に大きかったのは、自分の内側に何を乗せていたのかに気づいたことです。
私は幼少期から虐待やネグレクト、転校などがあり、安心できる家庭や頼れる大人がいませんでした。ずっと「尊重されない自分」を抱えながら生きてきて、「この目標を達成できれば、ようやく安心できる、幸せになれる、自分を救ってあげられる」と、仕事以上の意味をそこに託していたことに気づきました。だから長期的に見れば、この出来事によって自分の人生観や世界観が明らかになったことは、むしろ良かったとも思っています。
この十数年、ブログや本を読んだり、カウンセリングを受けたりしながら、家族の問題や生い立ちとはかなり向き合ってきました。以前だったら「親のせい」で止まっていたと思いますが、今はそこへの抵抗感はあまりありません。一方で、その目標を人生の支えにしていたことが分かった今、支えそのものがなくなってしまいました。
振り返ると、私はずっと「一人で頑張って登り詰めるしかない」という生き方をしてきました。気づけばかなり孤立していました。でも今回の出来事をきっかけに、「一人で考えられる世界はもう終わった」と感じています。同僚とランチに行ったり、友人と連絡を取ったり、これからは周りの人の意見や力を借りながら生きていきたいと思うようになりました。人を頼ることへの抵抗感もなく、見事に相互依存に移行しました。
ただ、その一方で思うことがあります。
もし人生には保証も救いもなく、「もう十分苦労したから、これからは安心していいんだよ」と言ってくれる存在もいないのだとしたら、この先の人生は本当に良くなっていくのでしょうか。今まで信じてきた希望を手放したあと、新しい希望がまだ見つかっていません。頭では「好きなことをして、できるだけ幸せに生きればいい」と思えるようにもなってきました。でも心のほうはまだついてきておらず、正直、気力が出ません。
こういう「人生を支えていた前提が崩れた後」の時期は、どう考えながら過ごしていけばいいのでしょうか。
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